たまもの''も''

おびなたです。練習日記みたいなやつでした。

インカレ。

ここまでやってきて良かった。

そうやって心底思えた。

 

結果的には1周半DNF。

1周目の登り耐えて位置下げながら集団最後尾くらいで下りに入ったものの、下り終盤のカーブで起きた落車で減速、前走と間空く、直後の平坦踏めなくて終わり。

 

平坦を踏めるだけの余力がなかった、その力を残せなかった自分の実力。

 

実際そこで頑張れてたら……とか、もうちょっと登りで耐えて落車の前で走れてたら……とか、タラレバが湧いて出てくるけど、もうインカレを走ることは無い。

それで良かったんだと思う。

 

完走は無理だと分かってからの半周、沿道の声援に反応したり、小さい子に手を振ったりしながら走って、最後のインカレが鹿児島のこのコースででよかったと思った。

 

地域の人が総出で大会を応援してくれてる。

あったかい。

なんの取り柄もない無名の選手を応援してくれてる、それだけで嬉しかった。

最後までやってきて良かったって思った。

 

ーー

 

高校生の時に美麻で見たインカレ。

そこからずっと''ここ''で走りたいと思い続けてきた。

受験も大学生活も常にインカレを意識し続けていた。

そんなインカレが呆気なく終わった。

 

それでも今回のインカレまでの過程に悔いは無いし、これ以上は望めなかったと思う。

それだけ頑張ってきてえらい。

 

なによりずっと一緒に頑張ってきた宮崎と中﨑の完走の瞬間を目の前で見ることができて感動。

誇張なしに人生で1番感動した。

 

ここまでやってなかったらこの感動も薄かったと思うし、それだけでも普通の大学4年間を薪にくべた価値があったかな(?)

 

ーー

 

1年のけいはんなでクラス2に昇格して、インカレの出場権を得て以来、苦しい期間が続いた。

喘息になったり、コロナ禍だったり、骨折したり、膝痛めたり、精神やられたり、機材に裏切られたり。

 

そんな中でも懲りずに続けてこれたのは、憧れの存在や一緒に頑張れる仲間が居たから。(((あー、なんかクサい文章になってきた、あーあ、ゆるして

 

一番初めに憧れた神大の浅井さんを始め、信大の先輩方、身近で偉大な存在だったよーすいさん、野本さん、ぶっ飛んでた岩原さん、ライバルかつ尊敬してる橋本さん……憧れの存在が周りにたくさんいた。

 

ロードレースで結果を残すっていう高い目標に4年間立ち向かい続けた宮崎や山本。

1年の時に部の主務と主将を丸投げされて以来、なんとか形になるまで部をまとめてくれて、なんだかんだ最後まで一緒に頑張ってくれた西崎、個ロードのスタート前に、お互いに拳突き合わせて気合い入れた瞬間が過去最高に激アツでした。死ぬ前の走馬灯はたぶんこの瞬間、知らんけど。

最後のインカレに向けた練習にずっと付き合ってくれた中﨑。インカレ完走までしてくれて、無事に僕の情緒どっかいきました。感動をありがとう。

 

RouteKOBE、関学練、SKHのみなさん、長野でお世話になった方々等々……挙げてたらキリがないので、このくらいにしときます。

 

自転車で結果残す為には、自分との闘いの部分が大きいけど、やっぱり周囲の存在って大事だよね。

そんな存在に恵まれた学連生活だったなぁって。

 

まだあと半年くらい学連レースは出ようと思えばあるけど、長く目標にしてきたレースが終わった今、区切りを付けるべきかなって思う。

 

今後は阪大が全国規模の大会で活躍できる部になれるようなお手伝いを老害3人でやっていけたらいいな。

 

おしまい。